原田裕規
yuki harada


Born in Yamaguchi Pref. Japan, 1989.
Major in Contemporary Art, Musashino Art University, Tokyo, Japan, 2009-2013.

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今日は、いま携わっている仕事がようやく順調に動き出したことで、体感的には本当に久しぶりに安堵することができた日だった。その詳細については、また後日書くことになるだろう。今夜はそんなことの後押しもあって、久しぶりに、ウェス・アンダーソン監督の『ホテル・シェヴァリエ』と『ダージリン急行』の2本立てを見た。

この1セットの映画は、僕の中で一番大切な映画作品の1つだ。色々と思い出深いエピソードもある。でも、それとは関係なく、今日は以前見たときとはまた違う気付きも得ることができた。

この作品の最大の特徴は、非常に狭い空間で、大の男3人が身体を曲げたり寄せたりして折り重なるシーンの連続だ。それは、たびたび挿入されるスローモーションによって強調される。そんなシーンを今になって見返していると、あたかもTumblrで何度もリブログされてくる「オシャレ」画像、もしくは、instagramで加工されてアップロードされる、トイ・カメラ風の画像のように見えてしまった。

その「オシャレ」さとは、実際には文字通り「オシャレ」な感覚を兼ね備えているわけでもなく、すでに一形式として固定された「オシャレ」の範疇に留まる感覚、すなわち、(一般化されたという意味で)「普通」という形容こそふさわしいように思う。いや、もっとストレートに言うのなら、そのシーンを見ているときに、僕はあたかもTumblrのタイムラインやinstagramにアップロードされた画像を見ているときのような感覚になった。

その「普通」さは、必ずしも平凡なものに終わるわけではない。むしろ、時の流れに揉まれていく過程で、「普通」に思えた形式の特殊性が浮き彫りになっていき、より輝きを増すものも中には存在する。それを判断する基準は、「クオリティ」でも「アイデア」でもない、もっと抽象的な感覚や経験からくるものなのだが、実際、それを言葉に置き換えられないだろうかと考えてしまう。

どうしてこの映画はこんなに「普通」でありながら「特殊」な感覚を残して、記憶に残り続けるのだろう。

少しの間、連絡が付きにくくなるかもしれません。

ご用の方は、Gmailアドレス宛てにご連絡を頂けますと助かります。

新年度。この大学では最後の年。

新年度。この大学では最後の年。

「風景について」目次

第1章 

第1節 私たちの「風景」とは

第2節 「終わりなき日常」とは

第3節 日本の「郊外」の起源とは

第4節 「悪い場所」とは

第5節 郊外批判批判批判へ向けて

先週、ICCの展示で聴いて以来、やくしまるえつこメトロオーケストラ「少年よ我に帰れ」をエンドレスリピートで聴いている。iTunesの数字を見ると、今日一日で自宅PCだけで40回の再生。それに、外出中にiPodでリピートした回数が加わる。長さは6分30秒あるので、自宅にいる間だけでも4時間半以上にわたって再生していたらしい。

 

それを聴きながら、「普通」「匿名」「透明」について長話をした。

中央線系/サブカル系女子の最大公約数的なファッションとインテリアと住居に萌えるという話。「透明」な文学の話。美術史における「匿名」の文脈の話など。

集合住宅に「萌える」という感情が「工場萌え」とは一線を画しているのは、集合住宅が「匿名」の生活の象徴であるから。決してノスタルジーではない。

「透明」な女の子(の画像)に萌えるという感情は、その存在に目的がないから。無目的に、ただそこに存在するだけの人——多くの画像や存在は目的を持っている。

 

誰よりも透明で、匿名的で、普通の姿とは、どういったものだろう?

そういえばやくりまるえつこの声は透明だし、中央線系/サブカル系カルチャーとも相性がいい。

Tumblrにいくつか近いイメージの画像をリブログした。

もうすぐ、広島を離れる。

短くも思い出深い日々でした、ありがとう。

お好み焼きのいっちゃんにて。自家製麺が美味い。

お好み焼きのいっちゃんにて。自家製麺が美味い。

論考「風景について」を振り返る

世田谷文学館の『都市から郊外へ』展*1の会場でも読むことができるが、田園都市株式会社の「田園都市の理想」というテキストは、イギリスの社会改良家、エベネザー・ハワード(Ebenezer Howard)*2の 田園都市論を紹介しつつ、職住分離と都会の空気汚染を問題にして、郊外の必要性を説いている。そこには「危険で汚染された都市」に対して「安全安心な郊 外」が位置付けられている。また、これ以降に書かれた郊外開発に関する多くのテキスト——公的な報告書から宣伝用のチラシまで——にもこの二元論は見受けられる。その理由はなんなのだろうか。

その背景には、産業化に伴う住環境の悪化、そしてとりわけ、関東大震災というトラウマがある。

日本の郊外開発の起源を紐解くと、第一に、冒頭に書いた近代化に伴う西洋概念の輸入という側面があり、それと同じかそれ以上に大きな影響を与えたのが、西洋概念という外来的問題とは反対の日本固有の地政学の問題、つまり、関東大震災という大災害だった。

それと同じ種類の影響は、第二次世界大戦の敗戦のトラウマ=「悪い場所」(椹木野衣)からも発見することができる。特に、空襲による都市部の被害は、戦後日本の都市・郊外開発に大きな影響を与えることになった。産業化に伴う大気汚染と、大震災や大空襲によって出現した「焼け野原」 は、都市を「危険で汚染された」場所にするには充分だった。そしてそれに対をなすイメージ、「安心安全な」場所としての郊外が、戦後日本に高度経済成長の追い風の中で広く普及したのは無関係ではない。

当初「安心安全」だった郊外も、地域の成熟期を経て、次第に「危険な郊外」に変化していく*3。その成熟の過程で出現したコンビニショッピングモールこそが、「危険で汚染された都市」の対概念として、かつての「郊外」の「安心安全」というポジションを担うようになった。

その事実を考えるキッカケになったのが、ほかならぬ2011年東日本大震災だった。大震災を通過し、1945年の敗戦と1995年の2つの大事件とが、東日本大震災と連続する問題として考えられたこと、そしてそれをさらに遡ると、1923年の大災害に辿り着き、「郊外」を再発見した。そこで脈々と流れ続ける水脈を掘り当てるために書いたのが、「風景について」。*4
 

 

*1:『都市から郊外へ 1930年代東京』2012/2/11-4/8, 世田谷文学館, http://www.setabun.or.jp/exhibition/tokyo1930/

*2:エベネーザー・ハワード(Ebenezer Howard, 1850年1月29日 - 1928年5月1日)は、近代都市計画の祖とよばれる社会改良家。田園都市論において自然との共生、都市の自律性を提示し、その後の近代都市計画に多くの影響を与えることとなった。その功績はパトリック・ゲデスと並ぶ。(Wikipediaより)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%99%E3%83%8D%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89

*3:その内容は、三浦展著『ファスト風土化する日本』に詳しい

*4:本記事は2012年02月13日に@haradayuki2でポストしたツイートを再構成したものによる。 http://twilog.org/haradayuki2/date-120213

ドットについて考える

 
1. 鑑賞体験の「質」、再帰性と反復性
 
 

RT @EnricoLetter: やっぱり優れた制作者はつねに、優れた鑑賞者でもあると思うな。ある芸術体験に感動し、自分もこの美術という営みに参加したい思う強い気持ちをまず抱かな ければ、制作なんて続くのだろうか。そういう鑑賞経験をしたことがないという作家がもしいるなら、何がモチベーションで作っているのだろうか。
posted at 11:03:14*1


鑑賞体験の「質」というものが、発展して、その作家の美術活動の質や価値観に影響を及ぼす。そして、その質の部分が近似していると、案外クラスタや思想信条の違いは楽に乗り越えられたりもする。逆に、同じ美術というジャンルを扱っていても、完全に異質な体験を経てきた人も少なくない。

決定的な鑑賞体験が軸になって活動が展開されていくならともかく、コミュニケーションや抽象的な体験に実存の軸が固定されると辛い。美術作品は基本的に(物質として)変わらず存在するから、言語と同じで、いつでも同じポジションに立ち返ることができる。それを価値に推し進めたのが、近代以降に成立した美術館。

同様の問題を作品単位にスライドしてみる。

アートワークが原理的に、鑑賞体験として再帰対象であることと、作品(絵画だとイメージしやすい)内部に快要素としての「反復」が見受けられることの意味とは?

ドローイングで言うならば、線の集合自体が反復であるし、線の集合で構成された絵画や平面自体が反復であり再帰対象でもある。しかしそれは、ロマンチシズムに回収されるような「再帰」ではなく、逆に、主観を切裂くような暴力的な再帰に近い。

そして、ドット・ペインティングと言えば、ハーストや草間彌生田中敦子を連想するかもしれない。しかし、「広義のドット・ペインティング」と言い換えてみるならば、そこにリキテンシュタイン村上隆も加えられないだろうか。また、それだけでなく、スーラやシニャックの点描もドット・ペインティングの亜種だと考えると、美術史はドットで溢れている。

一方、ホガースが称揚したような曲線を追求するタイプの画家もいて、たとえばスーチンは「反復不可能な」曲線を多用し絵画を描いている。トゥオンブリーも、線を主要要素として絵を描くことに腐心している。それらは、完全にドットとは相容れない志向性を持った表現だと思う。
自分が絵を描くときでも、ドットを「打つ」ときと、線を「引く」ときの感覚は相容れない。dotとdrawは、文字通り次元 dimension も違う(一次元二次元)ので、認知科学観点から見ても、この2つの表現手法には大きな開きがあるのかもしれない。*2

 

 

2. 田中敦子のドット・ペインティングから

 

以下は、東京都現代美術館で開催中の田中敦子展*3の感想を交えて考えていきたい。
同展では、田中の電気服(習作を含んだ膨大なシリーズ)から、ベル作品、ドット・ペインティングへ繋がる一本のラインが示されていたことが、大きな特色になっていた。特に、ペインティングが集められた大部屋内での変化のさま/なさは、今回の考察の着想源になった。

(暴論に聞こえるかもしれないが)田中敦子のペインティング連作を見ていると、近代以降の画家が絵を描く動機や主題の問題は言い訳でしかないようにさえ思えてくる――それほどまでに、田中が描くドットは、既知の「動機」や「主題」には回収されないような、強迫観念に満ちている。田中敦子しかり草間弥生しかり、社会とは隔絶された自意識を主題に取り上げる画家が執拗にドットを描く気持ちが(制作者としての)自分には痛いほど共感できた。

ルネサンス期の(宗教的 な意味を含意した)「主題の適切性」の意味が崩壊し、適切な主題も方法も消え失せたのち、描きうる最小の形態(ドット)を最小の単位で構成していく(反 復)こと。その枠組みを了解した中での変化の振れ幅に快を見出だすこと。もし田中敦子の作品を見ることの前提が(熟練した鑑賞者にとって、たとえ無意識下 にそれが行われていたとしても)そのレベルにまで引き上がっているとするならば、広い共感や明確なキーワード/概念を抽出することは難しいだろうなと思った。

ドットはそもそも、――その「塗り」の工芸的 な美しさなどを差し引けば――反復と関連を示しているに過ぎない。そこには、主題も方法もない。であるならば、そのとき絵画は絵画に自閉している。それは 当の画家にとっても苦しいし不測の時代かもしれない。後続世代にとっても、シンプルに絵画が描ける事態とは言えないかもしれない。であるからこそ、もう一 度、主題の意味を考える必要があるように思われた。

(しつこいようだが)主題を棄てた画家が描けるものと言ったら、幾何学形態か線くらいしかない。そこにはバリエーションがあるのみだ。そうした状況に陥った絵画が、工芸的な美を追求する方向に発展せざるをえないのは、十分に予測可能な変化だった。*4

 
 
 

*1大山エンリコイサムさんのTwitter(@EnricoLetter)の投稿より, 2012年2月14日10:42, https://twitter.com/#!/1azusa/status/170218068864274432

*2:本記事は、2012年2月14日から15日にかけて、Twitterアカウント(@haradayuki2)でポストした内容を修正し、部分的に加筆を加えることにより、構成した。https://plus.google.com/107172513823898909554/posts/81tXoki4jNn

*3東京都現代美術館, 2012/2/4-5/6, http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/132/

*4:本記事は、2012年2月26日にTwitterアカウント(@haradayuki2)でポストした内容を修正し、部分的に加筆を加えることにより、構成した。https://plus.google.com/107172513823898909554/posts/3hseTFPNRmn

東京が発する無意味な音

映画を見ていたら朝になった。昨夜、唐突に思い返して「バベル」を借りに行き、2度目の鑑賞をした。

この映画は大きく、日本、モロッコ、アメリカ、メキシコの4カ国がロケ地に選ばれ、バラバラに流れている物語を映していきながら、最終的にはそれらの関連性によって焦点が結ばれてゆくという方法によって作られている。

この映画をはじめて見て何より驚きだったのは、外国人視点で作られた日本にありがちなオリエンタリズム的な要素が感じられないこと。それどころか、日本人の自分が見ても驚くほど日本の「空気」が描かれていたことだった。

それからしばらくして、ぼくはヨーロッパを長期旅行した。帰国の途についたぼくが、成田空港駅のホームで電車を待っていた際、その場所が異様に静かだったことに驚いてビデオカメラを回したことがあった。そこは、静穏というよりも無音に近い場所のように思われた。

その感覚を引きずったまま乗った電車の中も、静穏を通り越して無音に近く感じられた。(独特の制服を着たその存在自体が、改めて見ると特異にも思えたが)女子高生以外の乗客は誰も喋っていなかったことに加え、電車の走行音自体が異様に静かに感じられた。そのときぼくは、Twitterに「まるで「バベル」のようだ」と入力した。そこはまるで聾者の世界のようだった。

すでに映画を見た人にとっては言うまでもないことだが、「バベル」には(ほとんど)耳が聞こえない日本人の女子高生が登場する。

時折シーンが彼女の視点に映り変わる瞬間には、一切の音が彼女のそれに合わせて(ほとんど)ミュートになる。それは、聾の彼女の見る世界であると同時に、ヨーロッパから日本に帰ってきたぼくが見た世界であった。

「バベル」でも描かれた東京の街(新宿や渋谷)の雑踏の中を歩いていると、ふっと周りの雑音が消えて、感覚として無音状態に陥るときがある。その理由は、おそらく周りにある全ての音が自分と関わり合うことなく、それぞれがそれぞれに向けて自分勝手に鳴っているからだ。ぼくたちはそれらの音と自分の関係性を探ってみたところで失敗に終わるだろう。東京の雑踏に慣れるということは、その「関係性のなさ」にいつでも繋がることができる回路を自分の中に持つことだ。

「バベル」で東京が描かれるにあたって、それを表現する過程で聾の少女が登場したことは決してただの偶然ではない。聾である彼女は、常に東京が発する音響の「関係性のなさ」に繋がった存在だからだ。

その「関係性のなさ」を違う言葉で言い直すと、ぼくにはそれが「無意味なもの」と近いように思われる。それぞれの音がそれぞれに向けて自分勝手に鳴っているということは、それぞれの音が(自分にとって)無意味だから、解釈しようがないからと言うことはできないだろうか。新宿や渋谷のような街を歩いて聞こえる音を一言で言えば、それは突き抜けた無意味さと鮮やかさだ。

うまく言葉にすることができないが、ヨーロッパを歩いていたときに街で聞こえた音は、それぞれがそれぞれなりに意味を持っていたように思う。対して、日本のそれは無意味で、解釈のしようがなく、支離滅裂で、バラバラな音だ。

その音は、あたかも椹木野衣が『日本・現代・美術』の中で「支離滅裂、バラバラ」という言葉を繰り返したように、支離滅裂に、バラバラに、(あたかもスクリーンの後ろ側から響いてくるように)繰り返しエコーする。